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神風特攻隊はフィリピンで英雄だった

濛々と立ちあがる砂埃と共に、日章旗とフィリピン国旗を握り締めた子供達の
一団が押し寄せてきた。子供達は、バンバン村を去ろうとする、我々日本人一行に
大歓声を上げて「日の丸」を振りつづけるのだった……。

平成12年10月25日、フィリピンでは、パンパンガ州マバラカットをメインに、
タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、「神風特別攻撃隊」をはじめ
戦没者の慰霊祭が挙行された。慰霊祭の取材にやってきたフィリピン人
ジャーナリスト・ジョジョ・P・マリグ氏(25)は語る。

「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で
 戦ったすべての愛国者は“英雄”だと考えています。とりわけその尊い生命を
 国家に捧げた神風特攻隊員は尊敬すべき“英雄”だと思います。
 またカミカゼ・アタックを決断した大西瀧治郎中将も本物の“武士”です」

フィリピン空軍軍楽隊の奏でる勇壮な『軍艦マーチ』が、マバラカット飛行場を
見下ろすリリー・ヒルの大地を揺さぷった。

神風特攻隊も戦後の日本では“戦争の悲劇”の代名詞としてしか語られて
いない。ところが、“カミカゼ”を生んだフィリピンではその捉え方がまっ たく
違っていた…。式典に参列したダニエル・H・ディゾン画伯(70)は静かに語る。

「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。
 ……こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。
 同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで
 誕生したことを“誇り”に思っています」

1974年(昭和49年)、特攻隊の生き様に感動したディゾン画伯は、神風特攻隊
慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言した。そして画伯が感銘を
受けた『神風特別攻撃隊』の著者である中島正氏(元201航空隊飛行長)・猪口
力平氏(元第1航空艦隊参謀)の協力を仰ぎながら、やっとの思いでマバラカット
飛行場跡地に慰霊碑を建立することができたのだ。

私の方に向きなおった画伯は右手に拳をつくって語気を強めた。

「当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、
 世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。
 神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による
 最後の“抵抗”だったといえましょう」

そしてディゾン画伯は、両手を固く結んで私に託すのだった。

「神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか
 敬っていただきたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです…」

東南アジア諸国の中でも「反日的」と思われがちなフィリピンで、
こんな考えを持つ人物に出会うとは思わなかった。さらに、私にはディゾン画伯の、
「私達フィリピン人は白人支配の犠牲者ですよ」という言葉が耳について離れない。

この“疑問符”を取り払ってくれたのは、
地元通訳のマリオ・ピネダ氏(73)の証言だった。

「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な
 繁栄を遂げているでしょう。これは日本が統治下で施した“教育”の成果です。
 ……ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、自分たちでモノを
 作ることを学ぱせてもらえなかった。人々は鉛筆すら作ることができな
 かったのですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに
 売りつけてきたからでした」

これまでフィリピンが“親米反日的”と思われてきたのは、大東亜戦争で
この地が日米両軍の決戦場となったからにほかならない。日本軍は
この地で約50万人(全戦没者の約4分の1)の将兵を失ったが、戦場となった
フィリピンの人々は一般市民を含む180万人が犠牲となった。

ところが、こうしたフィリピン人犠牲者の多くは、アメリカ軍の無差別爆撃や
艦砲射撃によるものだったのである。むろん、この事実を地元の人々が
知らないわけがない。
日本人にとってのこうした“初耳”は、数え上げれぱ枚挙にいとまがない。

日米の攻防戦が繰り広げられたサマット山頂の博物館には、日本軍が
地元住民に医療処置を施し、友好的な交流があった事実を物語る写真が
堂々と掲げられてもいる。
在比邦人何けテレビ局「WINSチヤンネル」のキャスターでウインズ・インター
ナショナルの社長・水島総氏(51)は、このあたりについて次のように説明する。

「フィリピン人は日本で伝えられているような“反日”などではなく、
 むしろ親日的ですよ…。フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりも
 “リアリスト”です。戦争があれぱ多少なりとも悲劇はあると、現実的な
 考え方をしています。ですからフィリピンの人々は日本を責めようなどとは
 思っていません」

タルラック州バンバン村でも神風特攻隊の慰霊祭が行なわれた。
この村でも地元住民は村を挙げて日本の慰霊囲を歓迎した。そして、冒頭に記した
ように、帰路につこうとする我々を子供達は「日の丸」の小旗をちぎれんぱかりに
打ち振って見送ってくれたのである。
日本人参列者はこの光景に胸を詰まらせていた。頬を濡らす者もいた。

子供達の「日の丸」行進はどこまでも続いた。
式典に参加した地元サン・ロック高校の女子学生達は声を揃える。

「Brave!」(勇敢)

その中の一人が続けた。

「フィリピンにも“英雄”はたくさんいます。ですから私達も
 神風特攻隊という日本の“英雄”をたいへん尊敬しています……」

引率の男性教師は、「こうした歴史教育を通して、子供達に国を守ることの
大切さを知ってほしいのです」と話る。私は学生達にもう一度訊いた。
「君達は、カミカゼのパイロットを尊敬しているのですね」
屈託のない笑顔で皆は答えた。

「もちろんです! だってあの人達はヒーローですもの」
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by bt231 | 2006-03-31 18:10 | UHIと軍事 | Comments(0)

パラオ死守

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
 やがて戦況は日本に不利となり、
 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
 
 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
 
 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

 その瞬間、彼は悟ったという。
 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。

「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に
避難させたのである。

そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。

日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。

最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。

その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。

戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。

そして当時を知るパラオの長老たちは今でも日本をこう呼ぶという。

           「内地」

と。
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by bt231 | 2006-03-30 15:00 | UHIと軍事 | Comments(0)


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