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tu-kaからauに変更と携帯機種も変更~

合併されて最後までTu-KAを使おうとおもったけどポイントとか年割りを考えて早めに変更~
っで親もドコモから解約させて一緒に家族割引成功!しかもTU-KAを3年も使っていたもんだから一気に割引!基本料金3千円未満になりましたやっほう!
さて新しい機種は11月29日に出たばかりのA5515Kと言う機種です。
はじめはG'zOneA5516Tのどちらかにしようとしていたのですが
新しく機種変更するならとコレにしました。いままでカメラ携帯なんてなかったのでかなり新鮮です^^;。
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by bt231 | 2005-11-30 23:05 | UHIの雑談 | Comments(0)

プロジェクトモイゼ ~188トンの超重戦車~

ドイツは緒戦においての戦車の質は連合軍に劣っており、東部戦線ではソ連のT-34、KVシリーズに苦戦を強いられた。またアフリカ戦線において短砲身のドイツ軍は苦戦を強いられた。
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大戦も中期になると長砲身が開発され88ミリ砲搭載のティーガーは世界最強を誇るも連合国も戦車の強化を進めることになる。西側連合は戦車の質より物量による作戦と航空機の投入で強力なドイツ軍戦車を破り、ソ連は物量とドイツに追従するかのように強力な戦車を開発していく。そして、大戦も後期になると連合軍のノルマンディー上陸作戦、アンツィオ上陸作戦等により各地で敗戦が重なりドイツも防戦に移っていくのである。
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戦況が日々厳しくなりながらもドイツは着々と超重戦車の開発をしていた。
1941年にこの計画はスタートする。ドイツ軍がソ連進行を計画し準備を進めている際にソ連軍では100トンの重戦車を開発してるとの情報が総司令部にもたらされドイツ軍は即、この戦車に対抗できる重戦車の開発を行うのだが、噂の100トン戦車はT-35多砲塔重戦車で重量は45トンであった。
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重戦車開発計画マムート(マンモス)がスタートしさらにカモフラージュしモイゼ(鼠)ともよばれた。当初はクルップ社が開発を行い110、130、150、170トンと戦車開発を行う予定だったのだが、ヒトラーがこの計画を知り1942年3月21日に戦車の設計をポルシェ博士にも命じ12月にポルシェとクルップ社の案がヒトラーに提出されポルシェ案が採用されることになる。
ヒトラーは機動性を犠牲にしても重装甲、重武装を行うように念をおしていた。
1943年5月にモックアップが完成、試作がアルケット社で行われ前面装甲200~240ミリ 側面180~200ミリ 後部160~200ミリと重装甲で重量は180トン以上と想定された。
この戦車の走行装置はポルシェ博士が考案したガソリン電気駆動でハイブリッドエンジンであった。しかし、このハイブリッドエンジンを搭載した駆逐戦車はロシア戦線では移動も修理もままならず悪戦苦闘した。
モイゼの車体はでダイムラーベンツの1080馬力のエンジンを搭載しこれを使って発電機を回し電動モーターが車体を動かす仕組みで路上速度は20キロとされ武装は12.8センチ主砲、7.5センチ副砲、MG34機関砲と重武装だった。
一号車がガソリンエンジン搭載で2号車がディーゼルエンジンを搭載した。
1943年12月24日に車体が完成しダミーコンクリート砲塔(55t)を搭載し軍需大臣アルベルト・シュペァ立ち合いのもとアルケット社のカールゲンズベルガーが操縦し巨体にかかわらず軽快な走行で周囲を驚かせた。旋回試験では旋回半径8mで後の改良で信地旋回や超信地旋回も可能になった。そして、モイゼは橋を渡ることができないので潜水装置を装備して川を渡るようになっている。
1944年4月19日に連合軍の爆撃で遅れていた砲塔が完成。
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1944年10月まで数々のテストを行い機動性に関してはよい結果を出している。
180トン以上のの重量は実験場移動などに利用する貨物列車においてかなり厄介で乗降には分厚い鋼板を敷いて行ったが重量で折れ曲がり破壊し、モイゼを貨車に載せ移動する際もあまりの重量で動かないこともあり、停止の際は重量圧力で停止が困難だった。
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しかし、ダミー砲塔搭載の1号車、完全武装の2号車が完成したところでドイツの戦況は悪化しついに開発中止になる。その後は迫りくるソ連軍と交戦したと言う記録や様々な説をのこすが結局は自爆破棄された。
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モイゼは重装甲と重装備で連合軍のあらゆる戦車でも装甲を打ち抜くことは不可能とされその火力はあらゆる戦車も撃破可能であった。あの有名なティーガーⅡの前面装甲も貫通されることはなかった。しかし、航空機が優勢を決める時代に超重戦車の必要性はすでになく戦艦大和と同じ境遇であった。なぜこのような無用な代物の開発が今まで続いていたのか?
それはヒトラーの兵器好きと言うことだけであった。
ドイツ降伏後はソ連がモイゼを持ち帰り一号車の車体に2号車の砲塔を乗せ戦車博物館に展示しているので今でもその姿を見ることができる。
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by bt231 | 2005-11-22 21:22 | UHIと軍事 | Comments(0)


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