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星の王子様 

「星の王子様」といえば、世界で有名な童話ですね。
作者はアントワーヌ・ド・サン・テグジュぺリ
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 この童話は彼の身近な人をモチーフにした話と言われていますが、そんな彼も作家でありながら冒険飛行家として空を飛んでました。

 1935年パリ~サイゴンの懸賞飛行に挑戦し、リビア砂漠に不時着して遭難し、不思議な少年と出会ってこの経験が「星の王子様」の元になったのは有名です。
 1940年フランス空軍に所属し最新鋭偵察機のブロックMB174型に搭乗しドイツ軍への偵察飛行を行っていました。
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 しかし、ドイツ軍の攻勢は圧倒的で頼りにしていたイギリス軍までもが追い詰められフランスはドイツ軍に降伏しサン・テグジュぺリはアメリカに避難しました。
 アメリカでは作家として迎えられ、彼はアメリカに対して参戦をうながし、自ら戦線に復帰希望するもド・ゴール将軍には断られ、彼を復帰させたのはアメリカ軍でした。
 1943年、彼は43歳にして自由フランス空軍偵察飛行隊へ配属され、地中海のコルシカ島の第233偵察大隊にて写真偵察任務に就きました。
 彼が搭乗することになった飛行機はアメリカ陸軍が開発した戦闘攻撃機P-38ライトニングの偵察機型 F-5A。偵察から爆撃任務、空中戦までこなせる優秀な機体でした。そして、彼が搭乗する最後の機体になりました。
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 1944年7月31日、コルシカ島から偵察任務で偵察カメラを搭載するために機関銃をはずし、自分の故郷のリヨンの近くを飛行し予定コースを外れドイツ占領化のフランスに向けて飛行しました。 しかし、南フランスの沖合いを飛行中にドイツ軍の最新鋭戦闘機が彼を発見したのでした。
 当時のドイツ軍は敗戦が濃くなり、爆撃のためにドイツ領内に進入してくる爆撃機の迎撃も困難になり、護衛戦闘機のアメリカのP-51マスタングやイギリスのスピットファイア等に圧倒されていました。ドイツ軍は最新鋭戦闘機を開発をしていたのでした。
 フランスのオルジュ基地から飛び立った2機のドイツ機は後に連合軍に恐れられた。「長っ鼻ドーラ」の異名を取るFw190 D-9でした。

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FW190 D-9はレシプロ最強の異名を取るP-51マスタングと互角の性能を持つ戦闘機でした。
後にTa-152まで開発されるも、ジェット戦闘機Me262に迎撃機の役目を譲った。


このドイツ機に乗っていたパイロットはヘーゲル伍長とハイフェル士官候補生でした。

その時の戦闘の様子をヘーゲル伍長はこう答えています。

 「確か、キャスティランヌ上空だったと思います。1機のライトニングが緩やかに高度を下げながら飛んでいるのを見つけました。やや低速で、まるで迷子になって空を彷徨っているようにも見えました。驚いたことに、そのライトニングは単機で我々の編隊に向かって急降下してきました。一緒に飛んでいたハイフェルは、旋回してライトニングをやり過ごすとスピードを上げて追撃を開始しました。ライトニング機は、そのまま加速しながら逃げる様子を見せました。やや斜め後ろにハイフェル機は近づくと、射撃を開始しました。ライトニング機は何度かハイフェルの攻撃をかろうじて回避しましたが、最後に右エンジンに被弾し、白煙を吹いて降下していきました。そして、海に激突し、海面を何度かスピンした後、海中に沈んでいったのです。サン・ラファエルの沖合いでした。私には、何故あの戦闘機が攻撃もせずに、たった一機で我々の前に飛び込んできたのか分かりませんでした。」

 「今でも忘れることが出来ません。撃墜される寸前、コクピットにいた人影は、振り向いたまま我々の方を見つめていました。私は大戦中、多くの敵機を撃墜しました。また、味方が撃ち落とされる光景も数え切れないほど見ました。あまりに多くのことがあって、人の死にすら鈍感でなければ戦い、生き残るための気持ちを維持することが出来ませんでした。だから、人の死を含めて多くのことを私は忘却の彼方へと追いやりました。逆に、何気ないことを覚えていることもあります。人の記憶が曖昧さと正確さと両方持っていることを私は知りました。でも、何故なのでしょうか。何気なく覚えている中に、あの不思議な機のことがあるのです。もはや逃れ難たいことを知って彼は自分の死を見つめていたのかも知れません。でも、もしかするとあの王子のように、自分の死によって、彼は自分のもっとも還りたかった場所へ行こうと思っていたのかも知れません。…私は、あるいは彼の希望をかなえたのかも知れません。だけど、私は知ったのです。彼の死によって。生きていれば素晴らしい小説や絵や音楽や発明や事業を作り出せたはずの人々が、もう永久にいなくなってしまったことを。」

 1998年に9月26日ド・サン=テグジュペリと妻の名が刻まれた銀製ブレスレットが発見され、その後、マルセイユ沖を調査し発見されたP-38ライトニングの残骸の製造番号を調べた結果アントワーヌ・ド・サン・テグジュぺリの搭乗機であったことが確認されました。調査の結果、彼の最後が実際どうなったのかは未だわかっておらず、Fw190D9による撃墜も今のところ真実かどうかわかっていません。撃墜した一人であるハイフェル候補生は戦死しており、ヘーゲル伍長も消息が途絶えているため真実は定かではありません。

 アントワーヌ・ド・サン・テグジュぺリはフランス愛国者であったがドイツに占領され2つの政権に分断されたフランスに苦悩した。ド・ゴール将軍率いるレジスタンスの「自由フランス軍」と南フランスを拠点とするドイツ側につく「ヴィシーフランス」とのにらみ合いでどちらにも失望し、ド・ゴール将軍からから憎悪されアメリカに亡命することになったが彼はこれを期に「星の王子様」を執筆しはじめたと言う・・・。

追記:
童話「星の王子さま」で知られるフランスの作家アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(1900~44年)が最後に操縦していた飛行機は、ドイツ軍戦闘機に撃墜されていた-。2008年3月15日付の仏紙プロバンス(電子版)は、戦闘機に乗っていた元ドイツ軍パイロットの証言を報じた。
 証言したのはドイツ空軍のBf109戦闘機パイロットであったホルスト・リッパートさん(88)。第二次大戦中の44年7月31日、南仏ミルの飛行場を出発、トゥーロン付近でマルセイユ方向へ向かう米国製P-38ライトニング戦闘機を発見した。
 「接近して攻撃を加え、弾が翼に命中した。機体は一直線に海へ落ちた。機内からは誰も飛び出さず、パイロットは見なかった。それがサンテグジュペリだったことを数日後に知った」と同紙に語った。
 リッパートさんは「サンテグジュペリの作品は大好きだった。彼だと知っていたら、撃たなかった」と話した。
2013年4月、リッパートさんはヴィースバーデンで亡くなりました。

星の王子さま 公式ページ
ttp://www.lepetitprince.co.jp/

by bt231 | 2006-05-12 23:12 | UHIと軍事