2005年 09月 20日
世界最強の戦車は最後も伝説を作った。
ドイツの重戦車ティーガーⅡですが一般に知れているのはヘンシェル砲塔型で、丸みを帯びたポルシェ砲塔型も存在します。実はどちらもクルップ社が設計。
50両しか生産されなかったティーガーⅡの初期型ですが、プラモを作る際は必ずツェメリットコーティングを施す必要があります。実は、ポルシェ博士は奇想天外な人で面白い兵器を開発する人です。188トンの超重戦車マウスもこの人が設計しました。
ポルシェ版は丸みを帯びた砲塔でヘンシェル砲塔よりも実はこっちのほうが好きだったりしますが、ショットトラップ(砲塔に命中した弾が兆弾し車体上面に被弾する)と言う問題がありヘンシェル砲塔型が制式採用になりました。
ティーガーⅡは、機動力がないために防戦ばかりな戦いが多いですが、攻撃力と防御力で圧倒しドイツ軍の戦線を救ってきました。しかし被弾や地雷などで故障するとその巨体はどうすることもできずに自爆や放棄していくしかなく、次第にその数は減少していきました。実際、前面装甲を撃ち抜かれた記録はない。
バルジ作戦でもティーガーⅡは火力と防御で圧倒しアメリカ軍を混乱させましたが、天候の回復により空爆再開など戦力を次第に消耗し燃料が尽きたティーガーⅡのほとんどは無傷のまま放棄されてしまう車両が相次ぎました。
そんな、ティーガーⅡ最後の活躍とは…
第9軍SS第502重戦車大隊はベテラン戦車兵達であったが、西部戦線で敗北し再編成を行っていた。
ハルトランプフSS少佐が大隊長で、新型のティーガーⅡを受領することになったが、45両を受け取る予定が29両しか受領することができなかった。
再編成に伴い訓練場で訓練していたのだが戦線はもはやベルリン攻防戦に移っていた。
そして、彼らもベルリン攻防戦に放り込まれるのである。
彼らに与えられた作戦はソ連軍のキュストリン南橋頭堡の迎撃で敵橋頭堡の後方を切断する無謀な作戦だった。
23日に第9降下猟兵師団と共同で攻撃が開始されゼクセンドルフ村に夜襲を行う。
ソ連戦車を次々と撃破し、村が炎によって明るく照らし出されティーガーⅡの巨体は、そのシルエットを晒しだしてしまい、そこにソ連軍の集中砲火が浴びせられてしまうがティーガーⅡの重装甲を撃ちぬくことができず無事であった。
しかし、降下猟兵は前進ができなくなってしまい、再編成を行い夜明けに攻撃を開始するも敵の砲火が強力でティーガ-Ⅱも撃破はされないものの次第に損傷していき、徐々に後退を余儀なくされハルトランプフSS少佐は攻撃中止命令を出し撤退を余儀なくする。
26日にキュストリン橋頭堡へ攻撃が再び行われ可動できる戦車をすべて投入、2個師団の猟兵を突入しゴーガスト村に入り攻撃は27日の深夜になった。すでにドイツ軍は制空権を失っており、日中の攻撃はソ連軍の有名なシュトルモビク攻撃機(訳すと嵐を呼ぶ男:ドイツ軍には黒死病として恐れられた)が警戒しており夜間攻勢しかできなくなっていた。戦闘開始すぐに地雷原にはまり戦闘工兵に処理をさせ前進するもほとんどの戦車が身動きが取れない状況であった。
敵の戦車と対戦車砲を撃破するも集中する砲火と地雷原により前進できずキュストリン救出は失敗する。
4月3日、ソ連軍の総攻撃に備えデューベルスドルフのリッツェン地区に移動し最後の戦いを迎えることになる。16日にソ連の総攻撃が開始され16900門以上の火砲がドイツ軍前線を一瞬で焦土と化し、ソ連軍はベルリン目指して進撃を開始する。そして、ジェーコフ将軍がベルリン侵攻を開始し第9軍は包囲されてしまうも各地で反撃を仕掛け19日にはリーツェン、マルクスドルフ戦区等に移動し各地で火消し役になっていた。
21日、包囲されていてもシュプレー川前面を防衛し23日までに敵と激しい戦闘が行われソ連軍に大損害を与えるもドイツ軍の損害もひどく27日に第9軍に最後の命令が与えられる。
第12軍との血路を開け!つまり12軍との合流を目指す。ベルリン防衛の命令は・・・すでにベルリンはソ連軍の大攻勢によってドイツ軍の指揮系統は崩れ各地で各部隊が孤立しながらも戦闘を行っていた。
ハルトランプフSS少佐は大隊に命令を行う。西へ、西へ、生き残るために・・・・。
わずか5両となったティーガーⅡに最後の弾薬、燃料、が補給されティーガーⅡに擲弾兵を乗せ深夜に行動を開始する。
「前進!」の掛け声と共に前進を開始する5両のティーガーⅡ。その後ろには数万の兵士や民間人が後に続く・・・もう後退はない何があろとソ連軍を排除し前進するしかない。脱落者も見捨てるしかない・・・ソ連軍は容赦なく攻撃を開始する。戦車周辺で砲弾が炸裂する。戦車の上に乗っている擲弾兵は負傷するも必死に耐えるが車体から落ちる・・・
誰も助けることはできない前進は続く・・・途中、ソ連軍の激しい抵抗にあい2両のティーガーⅡが大破、死者は4000人以上に達する。
29日、夜にヴェンダー森林宿舎付近で再編成を行い再び前進する。
ソ連軍制圧下のハイニッケンドルフへ夜戦を仕掛け突破に成功する。
30日には12軍との距離は10キロになり5月1日に2両のティーガーⅡで最後の突破を図る。
ソ連軍戦車を次々と撃破しティーガーⅡ一両が大破する。しかし最後のティーガーⅡが擱座した時(眠りについた時)には第9軍はソ連軍の重囲突破に成功し12軍と合流する。
重戦車大隊の生き残りはわずか150名であったが兵士や民間人4万人以上が友軍戦線に到達した。
後に、この奇跡の脱出劇はハルベの戦いと呼ばれることになる。
5月6日彼らはエルベ川を渡って米軍の捕虜となる。